EvMEMO を二十年間放置した理由と振り返り

一言で言うと病み期だったから開発をはじめて、病み期に沈んだ。
そして 20 年後に救われた気がする話。

脱線したりしなかったりしながら適当に書く。

EvMEMO は私が 1998 年に公開したフリーソフトウェアで、Windows 95 で開発していたとても古いアプリケーションだ。

当時新卒で入社したブラック企業で、プログラマー志望で入ったのに工場勤務となり、やけくそで通勤や出張の移動中にノートパソコンを使って開発を始めたのがスタートだ。工場ラインの検査プログラムを勝手に開発しては導入したりもしていた。

その会社は今では上場企業となり、当時の同期達の名前が役員リストに名を連ねたり連ねなかったりしている。

私と同期連中は社長に呼び出されては「俺はいつまでも生きているわけではない。次の社長はお前たちの中の誰かがなるのだ。」と激励されていた。

昼休みには同僚達と会社の近くの公園に座り「鳩になりてぇな?」と虚ろな目で公園の鳩に問いかけながら飯を食っていた。

この会社の社長は先日亡くなり、次期社長に就任したのは彼の息子だった。

EvMEMO の初出は窓の杜メーリングリストだったはず。
若かったので、没の社事件に憤慨してそれ以外の窓の杜への露出はしなかった。

各種雑誌に掲載して頂いて、とりわけ DOS/V Magazine の付録 CD-ROM では、かの有名な Lhasa と二本柱のように並べて頂いており、たぶん二年間ぐらいずっと掲載紙を送っていただいていた記憶がある。

フリーソフトウェアには暴言を浴びせるユーザーが居て、よく沈められていたりしていたようだが、EvMEMO は大変ユーザーに恵まれており、不快な思いをさせられた記憶が一つもない。

連絡口が無くなって放置されていたのも大きいと思うが、BSS に書かれた「放置すんなよ」といった書き込みなど、全部目を通していたはず。

フリーソフトウェア・シェアウェア界隈ではユーザーの治安の悪さをどうするかというのが課題に挙がっており、なぜか私はシェアウェア作家協会と呼ばれる BBS に乗り込んで行って「ユーザー悪くないやろ、自分らの顔見てみろ悪い顔してるで」みたいな事を言い放ったような覚えがある。

2ch のスレッドでクリッカブル URL に対応してほしいと書いたレスに対して、誰かが「そんなものは必要ない。お前は EvMEMO のなんたるかをわかっていないのだ。」というレスがされていたのが、私はとても好きで今でも印象に残っている。

その時、私はクリッカブル URL に対応したくて、軽量に実装できる方法を必死で探していたのだった。

自分が作りたいものへの課題と、自分の技術力の乖離に疲弊したのか、何もできなくなった。
仕事を辞めて、心と体を休めてゆっくりプログラミングでもするかと思っても、ずっと何もできずにいた。

時々 Twitter で EvMEMO をワード検索すると、使い続けている人が居るのが見えた。ありがてぇなぁと思うと同時に、申し訳ないなぁと思っていた。

Twiter は 2009 年から始めているが、EvMEMO の名前を出してツイートしたことは一度もなかったはず。
それでも「生きとったんかいワレェ」と mention してくれる人が居たりした。

何かしようと、このドメイン unagiworks.net は 2001 年から取得していたし、evmemo.net というのも私が所有するドメインだ。
しかし、思っていただけで、何も出来ずに時間だけが経過する。

それから 20 年。
2018年12月25日、クリスマスの日に不意に気づいた。

リリースから 20 周年だ。

そして

この時、10 年近くメンテナンスモードにしていたこのサイトの Wordpess を開放した。

そしてそのまま興が乗って、20 年ぶりの新作アプリ EvMUTE までリリースする事になる。

やりたい事を実現するのに必要な技術と、自分の技術力との乖離は、様々な人々が書いてくれている技術ブログ記事と、オープンソースで公開されているコード達、自分がささやかにもがき続けてきた 20 年の成果が埋めてくれた。

いずれこれらへの礼も返していきたい。

それでもクリッカブル URL は、いまだできていないのだけども。

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